外資系企業の英文事務の派遣は仕事がなかったので、1年で辞めました/専業主婦の社会復帰・体験談

派遣先が暇すぎて1年で辞めました 社会復帰 体験談専業主婦の社会復帰

れっさー
れっさー

みなさんの派遣先はどのような会社でしたか?

これから派遣社員になろうとしている方は、どのような会社に勤めたいですか?

どのような派遣先なら継続して働きたいと思いますか?

派遣先が合わないと思った時、どのようなタイミングで派遣先を変更しますか?

様々な理由から派遣という働き方を選択されているのだと思います。

私の体験が一つの参考になれば幸いです。

派遣先はこのように選びました

将来英語を使用した仕事の正社員になりたい、というのが目標だったのでとにかく少しでも英語を使用できる仕事を探しました。

パートをしながら仕事を探していましたが、経験者募集が大半を占めていました。

派遣社員は即戦力、ある程度の知識や経験が必要だという事ですよね。

当然といえば当然です。

それでも今思えば、経験がなくても試しに応募すべきだったと思っています。

なぜなら、応募に通らなくても、得をすることはあっても損をすることはないからです。

急募の場合は、とにかく人が欲しくて採用になる場合もあります。

(実際に、とりあえず採用して、ダメだったら更新しないというやり方を見たことがあります。←それもまあ人道的じゃないという意見もありそうですが、要は認めてもらえるように頑張ればいいという事かな)

また、資格を持っているからOKという場合もあります。

私の場合がそうです。

私はTOEICと英検を持っていたので、“少なくとも英語の能力が0ではないだろう”という証明にはなりました。

そのため、募集要件に経験者優遇とありましたが未経験でも、無事に採用していただけました。

それが外資系企業の英文事務のお仕事でした。

業務内容と時給

業務内容

・部内の購買業務

・ミーティングのセッティング

・書類の精査

・ファイリング

・翻訳業務

時給

1450円 交通費なし

※経験がないということで、記載されている時給幅の最低時給。

しかし、私の目的を果たすには充分満足できるものだったので、時給はあまり気にしませんでした。

この時、記載されていた時給幅は¥1,450~¥1,550。

ちなみにこのスタートの際の時給ですが、6か月後に派遣先の指揮命令者の方の働きかけによりあげていただきました✌

たった30円の賃上げ、つまり1480円になりましたが、それでも嬉しかったです。それと同時に派遣会社の規定の変更により交通費も支払われるようになりました。

実際の業務について

初出社は下記の理由からとても緊張していました。

・初めての英語を使用する仕事

・久しぶりのフルタイム復帰

・扶養を抜ける(夫が私のフルタイムに嫌な顔をしていて、「扶養を抜けるなら最低1年は続けろよ」と言われました。)

前任者の退職直前に私の採用が決まったので、無理を言って前任者と1日会える日程で入職させてもらいました。

初日は簡単な会社説明を終えた後、前任者および部署の方との顔合わせを行いました。

前任者はとても迷惑そうに仕事を教えてくれて、用事があると中抜けされました。

そのため、PCも貸与前だった私は、何もすることがなくただマニュアルを眺めて時が過ぎるのを待ちました。

お昼も場所だけ教えてもらい一人で取り、孤独と不安の中で1日を過ごしました

初日のこの放置状態で、この先の不安が押し寄せてきて、その日は眠ることすらできませんでした。

後でわかったことですが、この部署の事務職は基本暇ということ。

前任者は無期雇用になりなかったがそれが出来ず、後任として私が入ってきたこと。でした。

当時の私は扶養を外れたらもう扶養には戻らないという、意思とプレッシャーを抱えていたので本当にこの放置は辛かったです。

そしてこの放置状態は退職まで続くことになります。

入職した途端に窓際社員で、あなたはいらない人員だと言われているようでした。

指揮命令者に何か仕事があるか聞きに行っても、本当に仕事がないようで困っていました。

私の仕事を探すために、自分の仕事の手を止めて、他の人に仕事がないかを聞いて回っていました。

彼を困らせるのも申し訳なく思い、だんだん聞きに行くこともやめました。

ゆっくり仕事を行い、時間が過ぎるのを待っていました。

前任者はこの仕事が合っていたようですが、私には何もできることがないのがとても悲しく、何度も帰り道に涙しながら帰りました。

同時に、1年たったら転職しようと心に誓い、求人を見るのが日常化していきました。

放置状態の支えになった友人たち

毎朝「今日は仕事あるかな、机の上に置いてあるといいな」と思いながら出勤していましが、辛いことばかりではありませんでした。

別の部署には、同世代の派遣社員がたくさんいました。

私と同じ立場ではなくても、愚痴をこぼすことはできましたし、応援もしてくれました。

仕事の話とは関係なく、くだらないことを話せるのも楽しかったです。

お昼も最初は一人でしたが、少しずつ声をかけてランチ仲間の輪を広げました。

唯一発散できるランチタイムを、毎日全力で楽しんでいました。

この仕事に就く前はフルタイムで働いているママとの交流はなかったので、ワーママの考え方を聞くきっかけになり、刺激にもなりました。

部署内の人間関係も悪くはありませんでした。

男性ばかりだったので、お互いにそんなに話すことはありませんでしたが、みなさん穏やかで優しい方々でした。

働きながら考えていた次の目標

1年間で、できる限り新しい経験をして、経験を増やそうと時間を無駄にしない努力をしました。

派遣社員は決められた業務の枠の中で働くことになっています。

そのため、できることは限られています。

教育を受ける機会もありません。

それでも限られた枠でできることは、なるべく挑戦しました。

海外からの来客の際には、なるべく話しかけるように心がけ、接待にも参加させて頂きました。

部署の方の、試験の手伝いをしたこともあります。

別の部署の手伝いもしていたので、別棟にあるその部署にも積極的に顔を出すように心がけました。

このような行動は、会社や上司によっては煙たがられるかもしれません。

私の場合は、仕事がないことは周りも認識していたので、特に指摘されることはありませんでした。

とにかく何かできることがあったら行動する、それが有益か分からなくても後に何かに繋がるかもしれないという思いで必死でした。

そして思惑通り、1年ちょっとで別の会社への転職をしました。

次の会社も派遣でしたが、難しかったのは期間を開けずに転職することでした。

こちらの活動については、また別記事でまとめたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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